愚痴言いたい放題]

告知

人が癌になった、こともあろうに後余命2年と医者に宣告されたようだ、まあ本人がどうも気になるので医者に白状せよと迫ったらしいが?。
 本人はもう落ち込んでいる、夜も寝れないと・・・無理も無い、私も困った、それを聞いてどうすれば良いのか?身内という分けではないので、気の毒とは思うが言葉はない、ただ慰めの言葉を言っても本人の気が晴れようとも思えぬ。
 私は昔から人は何時かは死ぬ・・・心配ない、永遠に生きながらえた人間は居ないのだ、地獄は恐ろしかったと生き返って報告した例も聞いてない、早いか遅いかの違いである・・・と達観したかのように発言している、もちろん私だけは中々死にはすまいと思っているからである、死んでなるものか?。
 この告知は最近の流行?らしい、医師は告知をして本人の生きようの気力を当てにしてのことらしい・・・ということは、まだ薬より気力の方が効き目がいいのかも知れない、この告知、本人次第とは思うが、時期(期間)が問題と思う、後三月などと云われた日には、もう対処のしようが無い、身辺の整理する暇も無い、さすれば二年と云われたらどうすれば良いのか、あと一年、あと半年と云って死を待つのか?これも苦しい。
 近頃は人間、病院で生まれて病院で死ぬのである、生死は自然現象では無くなったと何かの本で読んだが、私が子供の頃はそうでは無かった、家で生まれ家で死ぬ、今は死ぬ日までわかる?。
 告知をするべきであろうか、告知のその瞬間からその人は病気の苦しみと、告知の苦しみを背負うこととなる、そりゃ〜まずかろう、やはりどうも体の調子が悪い悪いと思いながら死んでゆくのが自然である、これ以上医学が進歩すると生まれた瞬間あなたは何年何月何日が予定死亡時刻と云われそうで恐い、私、告知するべきでは無い派だ。
変わって例の八代の鶴、不運にも日本海で力尽きたの報道あり、鶴としても未経験のゾーンに入って無念の戦死、むやみに人間が勝手に保護とかなんとか云って自然に逆らってはいけない、普通に飛んでいても不慮の死を遂げる鶴はたくさんいるだろうが。

子供の日、山口陸上競技場でのハゼの実ロウ絞り体験風景
  

ここで一句

我が身でも残る年月気にかかり

・・・それにつけても・・・知ることは恐い