神事

空の中、高松八幡宮の秋の大祭が始まった、こともあろうに祭のメインである神輿の担ぎ役を任命された名誉なことである(現実は人手不足で我が自治会でも若い方の?部類に入る私が選ばれたようだが・・・)
 午後決められた時間にうやうやしくも神の御前に頭を垂れれば汝、唐櫃を二人して担ぐよう告げられる、神の僕ともなればそむくわけにはゆかないのだ、かくして先棒と後棒(雲助と一緒では神に失礼か?)と気合を揃え、神輿の前を歩いたのだ、唐櫃の中身は鯛、季節の野菜セット、まかり間違っても落とすようなことになれば即座に打ち首はまぬがれぬところだ、慎重に歩いた。
 この役目が昨日の内にわかっていれば裃、烏帽子などを取り揃えたのにと残念でならぬ。
 かくして神行は無事に終わったが、その後がいけない、あれだけ神に奉仕したがおみくじは例年のごとく5等と最下位賞品、なんということだ?この一年間の我が善行を神は見てない、やはり思った通りこの世に神はいないと確信したのだった、社殿内を見れば、この不景気な世の中70万円〜10万円の幅で、これ見よがしの寄進張り紙あり、我が貧乏世帯では理解に苦しむ、神社とは利益率100%の営利会社なり。
はパート先でたずさわった建設現場の完成パーティに招かれて深夜までご馳走の山に囲まれた、15、16人の集まりであったが、焼肉が主の野外パーティ、久しぶりに猪肉なども出た、やはりこのような場では焼肉奉行も現れて大いに場を盛り上げていた
 夜も深くなると以外に寒くなり、遂には近くの木材を集めて焚き火を始めるものも出てきた、火がついてみればキャンプファイヤー並の炎を揚げるの図、周囲に民家もあり、今にも消防車が現れるのではとヒヤヒヤしながら暖をとる、アルコールが入ると人は大胆になるの典型。
 若い人が多くて話がかみ合わないところもあって、少し老人の悲哀を味わった。

ここで一句

いつの世も最後はなんでも神頼み

・・・それにつけても、面白い一日であった!!