まだ戦後 !! 

 今日は朝から今にも降りそうな雰囲気の雲が垂れ込んでいる、本当に降れば良いのだが、それにしても連日蒸し暑い、また各地で水害などが起こり始めている、復興の気運になった頃また叩かれる悪循環経済大国を自認している日本も天災には勝てない、なにしろお金を積んで天に頼んでも駄目なのだ、山口県に住んでいて良かった(自分だけ良けりゃ〜いいと思いたくないが・・・つい本音)といつも感じている。
 今年は戦後60年で連日60年前の話しを各メディアが発信している、悲しい話ばかりで気は滅入るが、否が応でも耳に入る、日本では敗戦後と言わず終戦後と言うとなにかの本に書いてあったが、なるほど言葉一つにも口惜しさがにじみ出ている。
 わたしは昭和16年に生まれている、真珠湾攻撃の二ケ月前、なんとかこの無意味な戦いを止めさせようとこの世に生まれ出てきたのだが、時すでに計画進行中で・・・力及ばず残念?。
 NHKBSで朝7時前に昭和20年の今日の日記を流している、各界の有名人の日記だが、昔のことなのに、生々しく心に響く、その頃の子供の体験は今の学校に変質者の比ではないのだ、爆撃を受けながら都会では街中を逃げ惑っていたし、沖縄の方では山中を、ちょっとの差で生死が分けられ生き延びて居られる人の日記だから迫力満点、談話など聞いていると泣けてくる、また「ここまで生きて亡くなった人に申し訳ない!」とか言われると「そんな言はない、そんな言はない」と思わず独り言をいっている私です。
 ここでまた、山口県で良かった(自分だけよけりゃ〜)チベット*1に住んでいて子供は戦争とは無縁、唯一覚えているのは祖母ちゃんが「B29が来た!!」と言って松林の中へ逃げ込んだこと。本当に戦時に生まれて戦争体験がないのは申し訳ない気持ち?。
 天皇陛下サイパン戦没者慰霊に行った、バンザイクリフと云う断崖があるとか、嫌なネーミングだが、当時米兵が言った「日本人はなぜ、あんなに死にたがるのか?」重い言葉だ。
 どうも話題が暗くなった、ネクラガくらい話をすると・・・一日中気分が・・・・。       


*1:T町のチベットのこと