親父の背中

親父の背中
 今日は新聞休刊日である、朝から手持ち無沙汰、ウロウロして見るが仕方ない、なにしろネタが無い、そこで朝日に時々掲載されている「親父の背中」*1を思いだし、彼岸でもあるし親父(20年まえに他界)の事でも書いてみよう、思い出すだけでも親孝行ではあるまいか・・・。
 私は母親の方を早く亡くし(2歳時と聞いている、覚えてない)父一人、子一人で育つ、戦時の生まれであるから激動の時代である父は赤紙一枚で戦地へ、幼児の私を連れて戦場へ行くこともできず、さぞや困ったろうと思う、がそこは良くできたもので母親の実家で戦争の終わるまで過ごす、なにせ二、三歳の頃なので覚えてはいないが・・・ある日ひょっこり、この人が父ちゃんと云って現れた、これにはたまげた、なにしろ自分としては実家の子供ぐらいに思っていたのだから・・・。
 親父もなんとか生きて帰ってきたのである、戦死でもしていたらと思うとぞっとするが、二人の生活が始まった、・・・が何年かすると(私の入学まえ)今度は出稼ぎに横浜の方に知人を頼って行ってしまう、子供が何もできない時期に、なんと子離れの決断が早く、しかも私を某家に預け、よそ様の迷惑は考えない親であった。
 感心なことに仕送りなどは真面目にしてくれていたようだが、養親には随分と迷惑をかけたと思う二三年に一回ぐらい数日帰ってくる、今思えば私の顔を見に来たのだろうと思うが、はっきりはわからない、帰ってきても私を連れ回す場所がすごかった何時のときも競艇場かパチンコ屋である、子供はパチンコなどしてはいけないと親に説教するのだが「親がついていれば良い」と云うのである、学校の教えと親の教えが違うのには参った。
 ある日私に「お前、どうにもこうにも困ったときには泥棒しても食ってゆけ」といった、まるで親の云うべき言葉ではない、またある日二人で墓参りに行った時、墓のフタを開け墓は只の石だ、只の骨だと言った、本当にあれ以来私は神も仏も無いものだと思ったようで、今も全然信仰心が無い、したがって、私家には仏壇はあるが手を合わすことはない坊主が来たら仕方なくやるしまつである、妻が供えた饅頭は取りにゆくが・・・・親に手を合わさないのは親の自業自得である。
 その親も遠く名古屋の地で野垂れ死にした、親のエピソードは数々あるがまた書くことにしょう。
 
*[競艇予想]
若松10R(05/3/14)
1-5-2,1-2-5,1-5-6,1-6-5,1-2-6,1-6-2 (^_-)-☆
本日の結果1−5−6(2310円)>(^_^)v

*1:有名人が親父について語る、親父を褒めちぎる欄